教育における息抜きとは何か

今となっては一直線に1つのことに没頭して来ていたならば現在の人生も大きく変わっていたかもしれないし、ノーベル賞を受賞することも可能であったと思う人もあるかもしれません。
学校時代には学習するということが主たる目的であって、それ以外にはクラブ活動ぐらいであまり他のことは考えないものです。
しかし何のために学習を行うのかを考えた場合大きくなって仕事と結び付けて考えないと意味のないことが後で分かります。
そういう意味では他の色々なことに触れることは意味があるとも言えます。
教育の場では遊ぶときには遊べということがよく聞かれます。
その場合に遊ぶとは何を意味するのか分からない時期でもあり、息抜きとは何かについても同じ疑問があります。
小学校の時代であればキャッチボールや昆虫取りかなとも思いますが中学時代、あるいは大人になった場合にその意味するものの内容や捉え方は個人個人の環境によって該当する項目もまちまちで違うものです。
けじめをつければそれに没頭するのもありなのか、それが職業に結び付くこともあるので有用だとする見方もあるのかという部分が問題にもなります。

日本の教育の現状と問題点とは何か

戦前から戦後、そして21世紀になっても尚、日本人は集団からはみ出すことを嫌う人種として知られてきました。
他者より優れるでもなく劣るでもない、横並びが良しとされてきた文化が日本にはあります。
例として小学校や中学校を思い出してみましょう。
先生が「この問題が分かる人」と生徒に挙手を促しても、積極的に手を挙げる生徒は周りには少なかったのではないでしょうか。
これが日本の特徴である「恥の文化」の象徴だと言えます。
しかしながら現在の日本では、かつてと違い、より個性を尊重した教育制度へと移行しつつあります。
机に座って教科書に書いてあることをただ覚えていくというスタイルから、一つの議題に対して生徒それぞれが自分の持つ意見を言い合ったり、フィールドワークによってその議題を多角的に捉えるという教育方法が用いられるようになってきました。
これにより、個性を持った子どもが育ち、グローバルな社会にも対応していける人間力が育っていくものと考えられます。